さよならの時間
この世の命に貴賎があるなら、
何故あの人の命を最も尊くしてくれなかったのか。
「どうやら俺は、死ぬらしい」
ぽつりとあの人が呟いた。私が見てきたどの罪人とも違って(もっとも彼は罪人という訳でもない)、彼は非常に落ち着いた様子でそう言った。
「…なんだかよくわかんないけど」
続けて呟く。
私は罪人を引っ張るための縄を手に、そのまま聞いた。
本当は話など、してはいけないのだろう。
けれど今までの罪人はみな泣き叫ぶばかりで、会話という会話をしたことがなかったから、してもいいのかしてはいけないのかよくわからない。
「なあ、俺は何でこんなことになったんだろう?
君は何か聞いていないか?」
私はただ首を振った。
元々私はただ罪人を引っ張って処刑場に連れていくだけの役割だから、罪人がどうして処刑されるのかなど知らないのだ。
疑問に思って聞いたこともない。上の人間は罪人を連れてきて、処刑の日と時刻を告げるだけだ。
すると彼は少し残念そうな顔で、そうかと呟いた。
「楽しかったな、人生」
そう呟いて目を閉じる。涙の一滴も零れ落ちないが、絶望の色もない。
死ぬのは怖くないのだろうか。私は怖い。怖くて怖くてたまらないのに。
聞いてみたいが、残念ながら私の喉は潰れてしまっていて、声が出せない。
それに、聞いても仕方が無いことだ。…彼は死んでしまうのだから。
「なあ、君はもしかして喋れないのか」
いつの間にか彼は目を開けてこちらを見ていた。
私はまだ喋るのかと驚きながらも、質問に頷いた。
彼はふうんと呟いて、目を落とした。
「その方がいい、喋れてもきちんと伝えられない人間よりも」
ずっと生きやすい。そういって彼はまた目を閉じる。
誰のことを考えているのだろう彼は。
どこか自嘲的に笑うその顔を、私はしばし見ていた。
やがて彼が目を開く。
その目に清冽な光が宿る。私の背後の処刑場へと続く戸が開き、強い光が差し込めていた。
「時間だ」