雨にうたう
困ったな。
頭上を見上げれば、凄まじい勢いで雨粒が舞い降りてくる。
ざあざあ、などというものではない。たたきつけるように激しく、雨が降り注ぐ。
溜息をついて馬超は目を落とした。
今は城門の僅かなでっぱりで雨宿りをしているが、いつになったら止むというのか。
「雨、ですか」
後ろから声がした。
振り返ると、ぴたりと閉ざされた門を背に、法正が立っている。
あまり話をしたことがない。
孟達とよくつるんでいるようだ。そんな印象しかなかった。
「どうもついさっき降り出したようですな」
「ふむ」
頷くとともに、法正はそのまますたすたと雨中を歩き出した。
しかし、ものの数秒で戻ってくる。
すっかりびしょ濡れだ、服も張り付いている。
「歩いていくにも厳しいものがある。全く前が見えませんな」
ただそれだけを確認するために歩いたというのか。
無茶をする。馬超はそう思った。
隣で件の軍師が濡れた巾を絞っている。
濡れて顔に張り付いた髪を、鬱陶しそうに手で払い、目についた袖も共に絞った。
馬超は少し、驚いた。
意外と引き締まった体つきをしている。衣越しでもはっきりとわかった。
文官は皆ひょろっとしていて、殴れば折れると思っていた。
軍師などその筆頭。
はて、この男は本当に法正という名の軍師であったか?
疑問は心にしまい、声をかけることにした。
「鍛えておられるのか」
問うと、相手はくるりと振り返り、
さして興味のなさそうな顔で答えた。
「陣中奥深くにいては、指揮も取れませぬゆえ」
それは確かにそうだ。
けれど妙に納得がいかない馬超は、続けて問うた。
「その手に武具を持ち、戦う事も?」
「あまりに将兵が頼りなければ」
ごく小さく頷いて、法正は服を絞る行為を再開した。
軍師というものをあまり知らない馬超でも、
この男が過激な軍師であることは、自然と察しがついた。
そういう人間は、嫌いではない。
「雨が止みませぬな」
法正が呟く。馬超は頷いた。そして天を窺う。
「馬将軍は」
声に、目を遣ると、すぐ近くに法正が居た。
驚いて少し身を引くと、彼はその涼やかな声で、言葉を紡いだ。
「雨はお好きですか」
妙な事を聞く。一瞬馬超は言葉に詰まった。
「否、嫌いではないが…好きという訳でも」
「そうですか」
言うと、法正はすっと身を戻した。
「次の戦は、私が指揮を執ります。
この雨よりも激しい戦となりましょう」
ゆめゆめ怠りなきよう、と続けて法正は告げる。
馬超は空を見上げた。
雨音は先ほどよりもずっと激しさを増している。
口を開く。
「某はあまり策士というものに面識がない」
そうなのですか、と法正が相槌を打った。続ける。
「しかし、貴公のような策士ばかりならば良いのにとも思う」
今度は相槌は来なかった。神妙な顔で彼はこちらを見ている。馬超はふっと笑んだ。
「貴公のような軍師ならば、策を聞くのも悪くはないと思いますぞ」
言うや否や、法正がすっと手をこちらに伸ばしてきた。
何をするのかと思えば、ぺたぺたと掌で両肩を叩く。
表情は特に変化がない。常の無表情だ。
「法正殿」
「馬将軍」
言葉を遮るように法正が呼ぶ。
「何でしょう」
馬超が促すと、法正は肩に触れていた手を戻し、
「宜しくお願い致します」
と言った。
その顔には穏やかな微笑が浮かんでいた。
それは馬超が初めて見る表情だった。