雪舞う頃、桜の季節に
いつだったろう。確か雪の降る日だった気がする。
雪が音もなく降り積もっていた。
広く、何もない庭に、雪が小山を築いている。
ある人はこれを見、壮観だ、と呟いた。
ある人はこれを見、風流だ、と呟いた。
ある人はこれを見、もう冬か、と溜息をついた。
そして自分はというと、回廊に座り込み、その光景に与えるべき言葉を考え続けていた。
最初にもう冬か、と思った。また、夏が恋しくもなった。
次に、壮観だな、と思った。見渡す限り一面銀世界というのは、筆舌に尽くしがたい。
そして風流だな、と思った。冬はやはり雪が降らなければ冬ではない。
「…詩でも吟じる趣味があればよかったな」
ふう、と溜息をついて苦笑する。何といえばいいかわからない。
ありきたりな言葉では、言い表せないような気がして。
「雪か」
ふと後ろに目を遣ると、見慣れた若武者が立っていた。馬超だ。
その身はいつもの豪奢な鎧兜には覆われていない。恐らくは、兜なり鎧なり、皮膚にくっつくからと脱いできたのだろう。その視線は雪の降り積もる庭。こちらを見る気はないらしい。
「ええ、もうこんな季節になってしまいましたね」
当分は難儀しそうだ、と呟いて、目線を庭に戻す。
真上にあるはずの太陽は分厚い雲で覆われているというのに、何故だか空はとても明るい。
庭にしんしんと降り積もる雪を見て、ぽつりと彼が漏らした。
「雪は嫌いだ」
「どうしてです?」
すると彼は眉を寄せて、夢を思い出すからだ、と言った。
「夢?」
「丁度、父と休が許都へ旅立ったときだったろうか。あまり良い夢ではない」
話し振りから、それは悪夢であったのだろうと気付く。
「私は、雪は美しいものだと思った。馬超殿は違うのですか」
言葉を白く伸びる息に乗せる。
ふ、とかいう息の抜けるような笑いが後ろから聞こえた。
馬超が笑ったのだろう。振り返る。
彼の浮かべた笑みは、困ったような、自嘲するような笑みだった。
「何故そのような表情をなさるのです」
「俺にも解らない。ただ、…雪は、どうしても俺に離別を連想させる」
離別?と声を返す。
「俺に、雪を美しいと語った者は皆斃れた。父も、休もそうだった」
「…それは」
「ただの偶然だとは思う。雪の降らぬ地方の者は死なないことになるからな」
先程とは一変して、冗談めかしたような笑いを浮かべながら馬超は言った。見ていられなくなって、顔を庭へ向ける。
そして暫し静寂が訪れた。
「趙雲殿は」
おもむろに馬超が口を開いた。静かな声が辺りに響く。
「趙雲殿は、俺の前では斃れぬな?」
ぽつり、呟くようにつむがれた言葉。
雪はしんしんと降り積もる。
木が、土が、城が、真白く塗りつぶされていく。
壮観?風流?
そんなものとは縁無く、雪はただただ地上を埋めるがごとく降り積もる。趙雲は顔を上げ、天を見つめた。白い空から、白い雪が舞い降りてくる。
雪は何故美しいのか。
それは、舞うように降るその姿に、人の儚さを連想させるからだろうか。
「馬超殿」
ゆっくり、身体を後ろへ向ける。
馬超は静かに、現れた時と同じようにその場に佇んでいた。その表情に、変化は無い。ただじっと、言葉を待っている。
「長く降り続く雪の後には、必ず春が来る。
私と共にその春を迎えるのは、不服かな」
雪はなおも降り続いていた。庭先には趙雲が一人。馬超は室へ戻ったようだ。
最後に一言、言葉を残して。
『桜舞う頃、花見酒でも』
手で雪を掬って、丸く固める。
指先がじんじんと痛んだ。冷たい。
ああ、夢じゃない。幻でもない。
「花見酒」
言葉に出してから、趙雲はにっこりと子供のように笑ってみせた。