甘味より口づけを
月餅、杏仁豆腐、胡麻団子…
最近我が主君は甘いものを食べ過ぎている気がする。
政務を終わらせては、何かにつけて甘いものを摂取しているのだ。
今日、このときもそうだった。
深皿の上に盛られた杏仁豆腐を、少しずつ口に運んでいる。
「…孫権様」
「何だ」
ただ無心に食べるのみの彼に声をかければ、
わずかに目線をあげてこちらを見てきた。
疲れた顔で、やはり杏仁豆腐を食べている。
一口で食べないのが彼の食事の時の癖である――というのはいいとして。
「……少し、甘い物を摂りすぎではありませんか」
思い切って進言してみたが、こちらをちらりと見た主君は、小さな溜息と共に、
「疲れた時には甘い物がどのような薬よりも一番効く。
やめようとは思っていたが…これがなかなかやめられないんだ。
一度頼んだだけだというのに、侍女はどんどん作って持ってくるし、
二喬夫人方は試作品の菓子を消化して感想を聞かせろと持ってくる」
そしてもう一度大きな溜息。
皿から目線をあげて、こちらを向くと、不意にその紺碧の瞳を輝かせた。
「そうだ、幼平」
「…ご勘弁願います」
間髪を入れずに頭を下げると、主人は面白くないような声を出した。
「まだ何も言っていないだろう」
「大体、想像がつきますゆえ…」
なおも頭を下げると、その下げた頭の正面に主が膝立ちになった。
慌てて頭を上げれば、目の前ににっこりと笑う主の顔。
――とてつもなく不吉だ。
「幼平」
「……は」
「お前の事だから、最低限の食事しか摂っていないのだろう。
それに、日々の疲れも溜まっているのではないか?」
「…そんなことは」
ここで主君はもう一度にこりと笑った。
――次に来る言葉は大体想像がついた。
「私は満腹でな。是非私の代わりにこの菓子を食べてくれ」
礼をいってもいいんだぞ、と心中思っているに違いない目を向けて、
さじと皿を手に、こちらを見てくる主君。
どうしようもない。
断れば本気で頭を下げてでも食べさせようとするだろうし、何より断れる筈もなかった。
「……有難く頂きます」
「それでよし」
満面の笑みで皿とさじを手渡してくる主。
「……孫権様」
「何だ?」
「…孫権様はもうお食べにならないんですか」
「ああ、もう食べられそうに無いな」
「…では」
「うん?」
「では、僭越ながら俺が孫権様に食べさせて差し上げましょう」
止まった。
主の表情が止まった。明らかに硬直した。
暫くして、ようやく口を開く。
「…私は満腹で」
「…孫権様は昼餉の際、殆どを残していらっしゃいました」
「あ、あの時からすっかり満腹でな…」
「…ちなみに朝餉は寝坊されて食べ逃していらっしゃいましたね」
「……」
「……孫権様」
相手が沈黙のうちに、そっと周囲をはばかるように小声で言葉をつむぐ。
「……いっそ、口移しで」
主の硬直は、今度は長かった。
一瞬耳まで真っ青になったかと思えば、その直後には真っ赤になって。
目を見開いて、変な汗をかいていた。
「…孫権様」
もう一度声をかけると、恐る恐るといった様子で目を上げる。
それに、出来る範囲内の優しい微笑を返すと、
「…お覚悟を」
「ギャー!!」
逃げようとする肩をそっと押さえて、左右に振られるその頬を両手で押さえて。
この時点で既に杏仁豆腐の存在は忘れられていた。
少し抵抗の弱まった時を見計らい、そのまま上からそっと唇を、
「おい権!蟹釣ってきたから皆で食おうぜぇー!」
孫策の間が悪いのか周泰の運が悪いのか。
突然の闖入者の所為で、一世一代のチャンスをみすみす見逃した周泰は花瓶に頭から突っ込んでいた。驚いた孫権に投げ飛ばされたのである。
「…何やってんだ?周泰」
「さあ!?行きましょう兄上!」
真っ赤になって怒っている様子の孫権が兄を引っ張っていく。
花瓶に突き刺さったままの周泰は、そっと溜息を漏らした。
(…泣きそう)
嗚呼、彼に幸あれ。