明るい家族計画

緩やかな揺れは、心地よいのだろうか。
それとも、よくないのだろうか。

「……もう、駄目だ」
「……孫権様……」

船の上、二人の男が寄り添うように佇んでいた。

二人とも、神妙な顔つきである。片方は絶望的な顔を、
もう片方は何か嘆いているかのような雰囲気も感じられる、限りなく無表情に近い表情。

やがて、背の低い方の男こと孫権が眉根を寄せ、口元に手を当ててぽつりと言葉を漏らした。
それは、消え行くように儚い声で。

「吐く」

背の高い方の男こと周泰が、慌てて主の体を海の方へ向けた。

その二人より少し離れた同船上で、
椅子に座ったこれまた二人の男が暢気に茶を啜っていた。

髪を上でまとめた男が、呆れた顔で孫権と周泰の様子を見て溜息をつく。
孫権の兄、孫策である。

「ま〜たやってんのか?権の奴」

それを聞いた横の男、美周郎として名高い周瑜が、茶を一口啜って、

「呉の者にしては、孫権様は些か船に弱いらしい。可哀想な事だ」

苦笑しながらそう言うと、続けて、

「話題を逸らそうとしても無駄だぞ、孫策。机の上の仕事は減らないのだからな」
「くそっ…お前があっち向いてる時に海に投げ捨てりゃよかったぜ」
「すぐ仕事を放棄しようとするのは…君の悪い癖だな」

ははは、と笑った周瑜の横で、
孫策は溜息を吐いて机の上に山積みになった書類から目を逸らした。

胃の中のものを吐き出しへたり込んでいる主の横で、
周泰はその背を無言で擦っていた。

擦られている孫権は何やら疲れきったような、
やつれた顔(船に乗った当初は明るい顔色だった)を更に自嘲気味に歪ませて、

「…すまない、幼平

ぽつりと呟くように言う。
声のトーンの所為かはたまた蒼白な顔の所為か、その背がやけに頼りなく見える。

「……横になられてはいかがです……」
「いや、船に早く慣れないことには戦もままならぬからな。今は辛いが、横になっている暇は無い」

それを聞き、周泰は周囲の人間にもわからない程薄く笑んで、

「……玉体に触れる無礼、お許し下さい……」

そう言うと同時に主の体をひょいと抱え上げた。
それに驚き、孫権が反論の声を上げる。

「こら、幼平!何をする!…さてはまた子供扱いしているな?」
「…子供扱いなど…そんなつもりは」
「…わかっている、どうせお前のことだから無理やりにでも休ませようとしているのだろう。私だって心底休みたいし陸に足をつけたいし草の上に寝転がりたい!だが、ここで自分を甘やかしては万が一の時に駄目になるだろ…う」

「………孫権様?」

「……吐く」

慌てて周泰が主の体を海の方へ向けた。

三時間後。
机の上に突っ伏す孫策と、その横で優雅に茶をすする周瑜。

コメントしがたいそんな状況に、華がやってきた。
盆を手にした大喬と小喬である。

「孫策様、周瑜様、お茶のおかわりと御菓子を持ってきました」
「周瑜さま〜、あとついでに孫策さま!何見てるの?」
「俺はおまけかよ…」
「気にするな孫策。小喬、あれを見てごらん」

声のトーンを気持ち悪いほどガラリと変えた周瑜が指差した先には、
項垂れる孫権とその背をさすっている周泰の姿。

「あれぇ、あの二人またやってるのぉ?」
「全く、飽きないものだ」
「あれで三十二回目だぜぇ〜?いい加減権の奴も諦めたらいいのにな」

「使命感の強いお方だからな。
 それにしても周泰も周泰だ、さっさと運んでいけばよいものを」

「仕方ないんじゃない?」

にんまりと満面の笑みで、小喬が孫策にとっては衝撃の一言を言い放った。

「周泰って、あれで押しが弱かったりするみたいだし」

暫くの時を置いて、孫策がむせたように咳払いをしてひきつった笑みで訊いた。

「押しが弱いって…どういう意味だ?」
「そのまんまの意味だよ?孫策さまのにぶちん〜」

うっ、と詰まった孫策を押しのけて、周瑜が相変わらずの声のトーンで、

「ふ…小喬、押しがどうのというのは恋愛の駆け引きの事だね?」
「さっすが周瑜さま!正解だよ」

満面の笑みの小喬と、
あらいやだと笑う大喬と、
ハハハと朗らかに笑う周瑜の横で。

「…お兄ちゃんは許さねぇぞ〜!!」

孫策が叫ぼうとした言葉は、三人の手によって防がれた。

「人の恋路を邪魔する者は馬に蹴られて死んでしまうのだぞ、孫策」

「そうですよ、孫策様。あれはあれでいいじゃありませんか」

「そうだよそうだよ!
 孫策さまが駄目って言ったら周泰がますます弱くなっちゃうじゃん!」

「さすが我が小さな猛将、よく悟っているな」

「えへへ、周瑜さまに褒められちゃった!」

フェードアウトしていく周囲の中、
孫策は再び仕事が山と積まれた机の上に突っ伏し、盛大に溜息をついた。

その後ろでは、やはり孫権と周泰が同じことを繰り返していた。

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