ぽたぽたと雨粒が零れ落ちる。

「…お前が風邪をひく」

即席の傘の下、呟くように言った言葉。
それに返す返答はやはり少し遅く、囁くように小さかった。

「……ひきません」

何だそれは。
どういう原理だと問い詰めたい気持ちを抑えて、帰途を辿る。

言っても恐らく困ったように笑うだけだと思って。

雨が降り始めたのは、丁度孫権周泰の二人が城内の見回りを済ませた頃だった。

始めはしとしとと、霧雨程度の降りだったのが、
何時の間にか音を立てる程の量となっていた。

慌てて城の中へ入ろうと走ったはいいものの、
今度は雨で視界が悪くなり、門が見つからなくなっていた。

有得ない。
そう唸って城壁を睨みつけたが、
それだけでは寒い事には変わりはないし、雨がやむ気配も無い。

このままでは風邪をひいてしまうし、何より体力が激しく消耗されてしまうだろう。

「とにかく、門を見つけて中に入らなくてはな。…このままでは凍え死ぬ気がする」

そう溜息混じりに言うと、周泰は焦ったような困ったような顔を一瞬して、鎧の下に着込んでいた外套を外し、絞り始めた。

と思うと今度はばふばふと上下に振って水気を飛ばすような事をしていた。
雨で意味がないが。

はっきり言って不審だ。

「…何をしている?」

その言葉に反応したのか、それとも外套の水気を気の行くままに飛ばせたのか、周泰がこちらを振り返った。
と同時に先程まで乾かしていたと思われる外套を、かぶせてくる。

「うわっ」

全部乾いた訳ではない、少し冷たいそれを頭の上から被る形になった。

「何をする、幼平!」
「…それを、雨具の代わりに」

そう言うやいなや、すたすたと何処かへ歩き始める周泰。

「ま、待て!」

慌てて後を追う。足が長い彼の歩幅は広い。
それでも待てという言葉に反応したのか、足を止めて待っていてくれた。

「何処へ行くんだ」

「…門を探してきます」

しれっとそんな事を言ってまた歩き始めようとする周泰の兜の布を引っ張る。
外套はこういう時にこそ便利なのに、と思う。

「私を置いていく気か」

そう言うと、やはり少し困ったような顔をした。

「……私は門を探すのにも足手まといか?」

とどめの一言に、珍しく素早く周泰は首を横に振った。

城壁を巡るように、とぼとぼと歩く。
リーチの長い周泰の方が足が速いので、時折小走りになりながら。

「…この城はこんなに広かっただろうか」

ぽつり、呟くように言ったが、返答は返ってこなかった。いつもの事だ。
ただ無言で前を歩いて、時折城壁を見る。門が無いかどうか見ているのだろう。

水を吸って重くなった外套を持つ手もだるくなってきた。
雨よけにはなっているが、自分の身長とほぼ同等の長さを持つこの布は、やはり重い。

ふと、周泰が足を止めた。

「門が見えたのか?」

私には何も見えんと言いながら、周囲を見回す。やはり城壁しか見えない。

「…孫権様」

手を差し伸べられる。

「何だ?…城壁を登るのか?」

それには無言で首を横に振られた。
では何だと思っていると、差し伸べられた手が自分の頭の上にあった外套を持った。

「……俺が、持ちます」
「あぁ、返した方が良かったか」

これにも無言で首を横に振る。

ばさりと音を立てて外套に溜まった水を一度払うと、
強く絞ってまた孫権の頭の上に覆いかぶさるようにかけた。

端の部分は周泰が持っている。
頭の上に外套と周泰の腕がある形となった。

成程、自分は歩くだけで良いのか。
少し微妙な気分だった。

歩いているうちにも、まだ雨は降り続く。
ふと周泰を見て思う。

自分は外套が雨具の代わりをしてくれているが、彼にはそれが無い。
あるといえば、兜や鎧だったが、それも雨を100%防いでくれるわけではない。

「寒くないのか?」

「……大丈夫です」

素気ないといえば素気ない返事を返される。寒くないとは言っているが、事実寒いのではないだろうか。腕でも掴んでみたら冷たいかもしれない。

そんなことを考えていると、ふと周泰がこちらを向いた。
少し考えてから言葉を紡ぐ。

「…孫権様は寒くありませんか?」

「あぁ、お前の御蔭で寒くはない。
 ……やはり寒いのだろう、幼平。隠しても身のためにならんぞ」

と言えば、困ったように口元に微笑を浮かべ、

「…嵐の頃に、長時間全身に水を被った事があります。……この程度なら平気です」

と答えた。恐らくは江賊時代の話であろう。

――自分の知らない時の話だ。

「……大丈夫ですか」
「ん?」
「…風邪を召されたかと」

その唐突な言葉に、思わず笑ってしまう。

「私が黙っている時は病の時とでも思っているのか?幼平」
「…いえ」

慌てて首を振る姿にも笑いが零れる。

「孫権様」
「うん?」
「門が見えました」

その言葉に驚いて思わず周囲を見回してしまう。

「何、本当か!?何処にある?」
「……すぐ其処に」

と言われ指差されたその先は、自分のすぐ真横だった。

「………」

「…中に入りましょう、孫権様」
「…そうだな。しかし…灯台下暗しというか…。あぁ、そうだ。外套を…」

頭の上にある外套に手を伸ばすと、当然のようにそこには周泰の手があった。

「…幼平!」

慌てて腕を掴む。
かなり周泰の格好がおかしくなっているが、其の辺りに構う余裕はなかった。

「なんだこれは、冷たすぎるぞ」

腕をがしがしと擦って摩擦を起こして熱を持たせても、それをすぐに雨が拭ってしまう。
それでも擦りながら、いち早く門へ辿り着こうと少し小走りに門へ向かって歩いた。

やはり周泰の体勢がおかしくなっていたが、其の辺りに構う余裕は無論無い。
こんな時にでも周泰はやはり無言で。

「やはり寒かったのだろう。何故言わなかった?
 いや、言われた所でやはり私には何も出来なかっただろうが…」

これにも無言である。

「……あの外套は、二人入っても充分な大きさだった。
 お前一人我慢する事もなかっただろう?…それとも私は、それ程太く見えるか?」

これには無言で首を横に振る。

「このままでは、お前が風邪をひいてしまう」

返事は無い。いつものことだ。

「……………私はいやだ」

ぐっと強く腕を掴んで、城の中に入る。

兵や使用人の姿も見え、その中の一人に湯を用意するよう伝えた。
その足で部屋の一つへ入る。

「…孫権様」
「何だ」
「…俺は、貴方を怒らせましたか」

変な事を訊く。振り返れば、やはり困ったような顔をしてこちらを見ている周泰が居た。

「……そうだな」

否定はしなかった。かと言って別に怒っているわけでもないが。

「申し訳ありません」
「謝る必要など無い。…お前はもっと、自重したらどうなのだ。私も一人前の男だ、自分の事くらいは自分で出来る。これでも武人なのだぞ、力もある、戦に出る事も出来る。お前が身を犠牲にしてまで護る事は無い」

言いながら、泣きそうになる。
まるで頑固な祖父に駄々をこねている時のようだ。何故か自分が情けなくなってくる。

「……俺は貴方の護衛です」

ああもう。
益々泣きそうになってきた。言う事を聞かない不良に説教をする優等生のような気分だ。
つまりは、言ってる事すら無駄に思えてくる。

「幼平」
「…はい」
「お前は加減を覚えろ」
「………はい」

擦っていた腕を放す。少し熱を持った腕は、そっと周泰の体の横に戻っていった。

「私を護るだけでなく、お前自身も生き残る道を常に考えろ」

「………」

「いいか、もしお前が先立つような事があったら…」

「………孫権様」

「…後を追うからな!必ずだ。国も大事だしもっと生きていたいだろうが、お前への恨みつらみをぶつける為に後を追ってやる」

「…孫権様」

「だから…もっと、…身を大事にしろ」

「……」

返事が無い。また無言だろうか。
いつものことだ――…

「…わかりました」

「…………よし!」

感無量、とでも言うべきだろうか。寧ろ、してやったりの方が正しいかもしれない。

妙にすっきりした気分で笑みを浮かべると、
丁度良く先ほど湯を用意しろと命じた使用人が湯の準備を済ませてやってきた。
さぁ暖まるぞと喜色満面で見遣れば、少し気圧されたように困ったように笑う周泰の姿。

翌日。

「…だから風邪を引くといったのだ」
「……申し訳もありません」

雨上がりの晴天。
布団の中で唸る周泰と。

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