地を這っていきればいい

背中に羽でもあるのか。郭嘉にそう問うた。

すると郭嘉は、殿には一生生えぬ羽ですと答えた。
もし生えたとしても、すぐに抜け落ちましょう。そう言った。

皆、この手を離れてとんでいく。

郭嘉がいなくなった。否、身体はすぐそこにある。
手を伸ばせば届く場所に、厳かな香を焚かれて、
ぴくりとも動かず横たわっている。

その表情は、安らかだった。

すぐ口を開いて、何か進言してくるのではないかと思ってしまう。
けれども、その口は閉ざされたまま、開くことはない。

「人の命とは、随分と簡単に消え去るものよな」

ぽつりと呟く。そこに儚げなものでも見出したか、曹操はすっと目を細めた。
一体いくつ、詩を贈ろうか。どんな詩ならば喜ぶだろう、あの男は。

「詩など要りませぬ、只々、策を活かす場が欲しいのです」

後ろから声がした。夏侯惇だった。
神妙な面持ちで、そんなことを言ってみせる。

「…郭嘉でも乗り移ったか?」

苦笑混じりに問うと、夏侯惇はふっと笑ってみせた。

「苦笑でも、笑うだけの元気はあるようだな、孟徳

やはりお前か、残念よな。笑いながら返せば、夏侯惇はその場に腰を下ろした。

「郭嘉なら詩などどうでもよかろう。現に、いくつか策を披露したそうだな」

「残念だが、よく聞き取れなかったのだ。
 南の戦ではこうしろああしろと言ったに違いないが…。
 わしは南の孫権に大敗するかもしれんぞ」

それも良い良い、そう言って夏侯惇は笑う。

「負ければ負けたで、また得るものもある」

得るものか。曹操は黙り込んだ。
郭嘉を失って得るものなど、何かあろうか?

「こと人の生き死にに関して、得るものなど何もなかろう」

思ったことを、そのまま声に出して言う。夏侯惇は苦笑したようだった。

「人が死んで、得るものなど、確かに何もない」

やはりそうではないか。曹操は鼻で大きく溜息づいた。
郭嘉の抜けた穴を埋めるものなど、この世に何も存在しない。そう思った。

「孟徳」

夏侯惇が声をかける。またこの男は、訳の解らぬことでも言う気か。

「お前の目には何が見える」

全くもって、訳のわからぬ質問だった。曹操は前を向く。
視界に在るのは郭嘉の身体と、それらを守るように鎮座した葬具だ。

「何も見えん」

曹操は頭を振った。

「そうか」

夏侯惇はただ短く、そう返した。

「お前の背中に、羽はあるか」

今度は曹操がわけのわからぬ問いをした。夏侯惇は首を傾げる。

「どういう意味だ、それは」

「皆、わしの手を離れて飛んでいくようにいなくなるのでな。
 何か、羽でも生えておるのだろうと思った」

「お前は、俺が死ぬと思ってるのか?」

夏侯惇が肩を竦めて言った。

何を言う、万物が流転する限り、生も死も、皆平等に訪れる。
そうして、後に残るものはその苦しみを噛み締める。

「わしの頭には、生えているぞ」

言って、最近よく痛む頭を指した。夏侯惇は、それを一蹴した。

「お前の頭に羽など生えておらん」

全く、比喩も知らんか。呆れたように言えば、
夏侯惇はそれぐらい解っていると答えた。

それでもなお、否定する。

「羽なんぞ、一生生えん」
「わからんぞ?お前の身体にもしっかり根付いておるかもしれん」

笑いながら冗談めかして言えば、夏侯惇は目を押さえて言った。

「その時は、お前を上から見下ろしてやろう」

わしより早死にする気か。そう言った。
すると夏侯惇は笑う。当然だ。そう答えた。

だがな、と続ける。曹操は耳を傾けた。

「俺達のような人間は、地を這って生き続けるのが一番いいんだよ」

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