to the bitter end
お前だけは死ぬな。
時間が止まったかのようだ。否、止まればいい。
指先が僅かに触れただけで、気が触れたかと思うほど興奮する。
そのくせカツカツと音を立てて回廊を行ったり来たりする足音を聞く度に、すっと心が冷めていくのを感じていた。
最初に誘ったのはどちらからだっただろうか。
下衣に手をかけると、張遼が机から身を起こした。
「どうした」
「調練の時間だ」
そんなものは休んでしまえ、と言ってやりたい。
口で言う代わりに、頭をぐいぐいと肩に埋める。
おい、と二回ほど張遼は言ったが、やがて笑って寝転がった。
そしてやおら肩を押す頭を抱え込む。
それからこめかみをぐりぐり押したり、髪の毛を引っ張ったりして遊んでいたが、反応がないのを見てつまらなそうに口を尖らせた。
「寝たのか」
「こんな真昼間から寝るほど腐っちゃいない」
寝ているときもあるくせに。張遼はそう言って笑った。
それは言うな。郭嘉も笑った。
暫くして郭嘉が先ほどまで圧し掛かっていた張遼の身体から身を離す。
後を引くように張遼の身体にその熱が残って、離れた。
「鐘の音だ」
ぽつりと言い、こめかみをトントンと指で突く。
「興ざめだな」
溜息一つ。肩を落として郭嘉は言った。
それを聞き、張遼はふっと笑う。そして冗談めかしてこう告げた。
「調練に行けという天の思し召しという事だな」
「困った天もあったものだ」
間髪いれずに郭嘉が言う。そこから動く様子のない郭嘉に、張遼は首をかしげた。
「あんたは調練に出んのか」
文官といえど、調練の様子見ぐらいは執務の一つであろうに。
張遼は続ける。
「また戦があるんだろう。確か、あんたが進言したと聞いたが」
「南へ?」
そうだ、と張遼が答える。それを聞いて郭嘉はふうと一つ、溜息をついた。
「南の孫権など調練しなくても滅せよう」
「…それはもしや、俺への諫言か?」
厳しい軍師もあったものだ、と笑う。郭嘉も口の端を吊り上げた。
そうしてのたまう。
「別に、こなくても良い」
張遼が目を丸くした。どういう意味だ、と詰め寄る。
「意味は特にない。言ってみただけだ」
「気まぐれな軍師殿だ」
冗談が過ぎるぞ。そう言って、張遼は背を向けて服の乱れを正した。
その背をぼうっと見つめる。
それに気付いたのか、気付いていないのか、張遼はふと言葉を紡いだ。
「でかい戦になるんだろう」
でかい戦。口の中で反復する。
「…南との戦か?」
「いや、そうかもしれんが…わからん。ただ、あんたがいつになく妙な顔をしているからな。気になったまでだ」
それを聞いて郭嘉はふっと笑った。
「それは杞憂というものだ、将軍」
ただ一人になった室の中、郭嘉は数度、咳き込んだ。口元を手で押さえる。
杞憂、と口の中で先ほどの言葉を反駁する。
何度も何度も繰り返して、ようやく郭嘉は手を口元から離した。
目に飛び込む赤の名は。
「杞憂だ」
はは、と笑って郭嘉は口元を拭った。