愛と呼ぶこと
柔い風が吹いている。
足元の草は其れに吹かれ、横に倒れた。
頬に髪が触れている。
黒々としていて、男のくせに妙に柔らかな、そう、妙な髪だ。
風に揺られて、少しだけ其の毛が浮く。
鼻に掠った其れを、くすぐったいと感じた。
「張文遠は何処にも行かぬ、行けぬ」
搾り出すような声で夏侯惇が言う。
抱き止める腕に力が篭もっている。
流れる水か、吹き行く風か。
そのどちらかでなければ逃れられぬかの如く。
嗚呼、この男は私を束縛しようとしているのか。
因果を結び、逃げられぬ身と為った上で、漸く安心して愛せると云うのか。
何がこの男にそう思わせたかはわからぬ。
何がそんなに不安にさせるのか、己が身を省みても解らぬ。
只々、其処に在る不自然な清らかさだけは確かな感触として残った。
其れが愛なのかは、わからなかった。